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Johnny’s HISTORY
- / johnnyjokers
Johnny's History

これは栄光と挫折をくり返し、今尚ロックンロールし続ける永遠の不良少年Johnny中西の音楽の歴史である・・・
「自分の好きな道で生きて行くってのは実は一番厳しい生き方なんだぜ。適当に好きに生きてるのとはワケが違うんだ・・・」

なぜ音楽をやるかって?なぜバンドをやってるかって?そりゃあ中毒だからしょうがないよな、やめらんないよね。オイラがこの中毒にかかったのは忘れもしない中学3年のときだ                              はじめてバンドを組んで即LIVEをやった、3年生を送る会かなんかだったけな? 学校の体育館だった。全校生徒が見てた、1000人ぐらいいたかな?     何も知らないでステージ立って、ボーカルは校長先生が挨拶するマイクでやろうと思ってたんだけどスピーカーがとぶとかで使っちゃダメだって
「先生、うた、どうすんだよ!?」って言ったら             
「マイク無しでやれ!」って。俺は「冗談じゃないぜ!」って
そんでベースアンプにつっこんだよ、マイクを。               そんでベースとボーカルが同じアンプから出てるんだぜ、信じられないよな。ベースの音なんてコリンコリンだった。
そんで1曲目に演ったのがダウンタウンブギウギバンドの「知らず知らずのうちに」だよ、しぶいよな、でもメチャメチャ受けちゃったんだなこれが。そん時だよ脳みそからアドレナリンがドピュドピュ出て、今まで味わったことの無い快感だった。
もうホント夢の中で飛んでるような・・・。LIVEが終わって教室で通信簿もらった担任が俺に言ったよ、「お前、プロになるのか?」ってね。俺は「そんな甘いモンじゃないっスよ」って答えた。俺は野球の選手になりたかったんだ。でもなぜかハンドボール部に入ってた。                         そして、そのハンドボール部になぜか現在巨人の工藤公康投手がいた。わけわからん・・余談ですけど・・。        でも、「バンドでプロ?うーん、それも悪くないかも・・」って思ったりした。そん時にもうすでに“バンド中毒”にかかってるのに気が付かなかったけどね。!


Johnny中西18才



ダウンタウンブギウギバンド


キャロル

高校になってキャロルを演りまくった。とにかく好きでしょうがなかった。クールスとかも好きだったけど,やらなかった。
なぜかって、答えは簡単!メンバーがそんなに集まらなかった、それだけのこと。 サックスって何?って頃だからね。
キャロルなら4人集まってすぐに出来てカッコイイ!オリジナルも少しずつ出来てきた頃だね。
その頃中学の同級生(あんまり話たことないヤツだったけど)そいつが「僕もキャロル聴いてみようかな?」 って言ったんだ。俺は「エーッ、お前がキャロル!?」って答えたよ。だって、そいつの頭はマッシュルームカット だったんだぜ!その頃のキャロルっていったら不良の象徴だったからね。あまりに似合わないって思ったんだ。 でもそいつがこう言ったんだ。「だって、アレ、ビートルズだよ。」ってね

]
ビートルズ

もう無くなっちゃったけど栄のプリンセス通りにヤア、ヤア、ヤアというビートルズを専門に聞かせるライブハウスがあった。
フォーティーバックスという、それはそれは見事にビートルズを再現するバンドが出てたんだけど  俺達は“SHOUT”というバンドでそのフォーティーバックスが休みの日に出てた。
このバンド名は当時 クールスの村山一海さんがやってた店の名前から取った。 週に1回、ひと晩で4ステージ、ギャラは¥9,000!ほんとは¥10,000なんだけど税金を引かれて¥9、000。
楽屋なんてなくて店員が着替えるロッカールームみたいのがあってそこが控え室だった。厨房の隅だよ。 そんで店長に「お前らポップコーンだったらどんだけ食ってもいいぞ!」って言われてね、ポリ袋みたいのに ポップコーンが山盛り入ってた。「そっすか?んじゃあ、いただきまーす!」ってね
俺はその時サラリーマンやってたからね、会社から店に直行してたんで腹ぺこだった。 いつもポリ袋かかえてポップコーン食ってたな。
ひと晩で4ステージで1ステージに10曲くらい演ってたからレパートリー40曲、プラス10曲!常に50曲は店側から 要求された。
正直キツかった。歌詞の一語一句まで完全コピーを言われたからね。 でも、ビートルズの完コピってスゲームツカシイ!!とりあえずボーカルがすごい、出ないんだから、キーが高い! キャロルも高かったけどビートルズはまだ上いってたからね。でも意地んなってヤッたよ無理やりに。 頭の血管きれるんじゃないかと思ったよ。でもこのビートルズをコピーしまくったってのが後に俺の音楽に 大きな影響を与えることになるんだな、これが。
フォーティーバックスのステージは何度も見せてもらった。「こんなふうにバンドで給料もらえたらどんなにいいかなぁ・・」 なんてボンヤリ思ったりもしてた。でも俺の心の中のJohnnyが「なんか違うぞ!」って言うんだ。 ハコバンの楽しさ、切なさ、悲しさみたいのを感じた。

ヤアヤアヤアのステージ




東京

東京へ出た。名古屋にいた頃からデモテープ持ってレコード会社やプロダクションをまわってたけど。 それこそ何10社とまわったよ。だけどいつも答えは“NO”!門前払いだよ。
たまに親切なディレクターとかが居るとその場で聴いてイロイロ意見を聞かせてくれたけどね。 上京して目黒に住んでた。都立大学前だったかな?
リンキー・ディンク・スタジオという 練習スタジオがあってそこで練習してた。そこは杉山さんというスタジオミュージシャン(ドラム) がやってるスタジオだった。よく話をしてくれたんだけど、それこそ杉山さんは夢を追って東京へ 出て来たヤツらをたくさん見て来てるからね。
「お前ら3年はガマンしろよ」って言われた。 「3年?・・・そんなに?」「オウ、それでも世に出て行けるのはほんの一握りだぞ!」 俺は心の中で「冗談じゃない、半年、イヤ、3ケ月で決めてやる!」って思った。 実際、メシ食えなかったし、3年もこんなことしてたら飢え死にするぞって本気で思った。 でも、現実に3ケ月で決めてやった!

ワタナベプロダクションという所へ行った。デカかった。例のごとくアポも何も無し! 机がダーッと並んでた。いろんなアーティストのポスターとかいっぱい貼ってあった まあ、どこのレコード会社でもプロダクションでも似たような感じなんだけど“ナベプロ”はデカかった。
見渡すと天井からナニナニ部とかぶら下がってた。俺は新人ナントカ部って書いてあるのを見つけて そこのデスクまで行った。
2〜3人机に座ってなにか仕事してた。俺は「あの、デモテープ聴いてもらえませんか?」 って言った。ひとりが顔を上げた。メガネにひげ、マッシュルームカット、メガネは黄ブチだった。俺は 「おお、芸能界、」って思った。
そんでその人はチラっと俺達を見て、又机に向かって
「あとで聴いとくから そこ、置いといて。」って言った。
俺は「又か・・・」と思いながら
「いえ、ウチ電話ないんで今、聴いてもらえませんか?」 って食い下がった。本当に電話無かったし。するとその人はスゲー面倒くさそうな顔して
「そこのラジカセ取って」って そんで俺らのテープかけながら又、机に向かって何か書いてた。 するとその人の手が止まった。そんで顔上げて
「おもしろいな、お前ら、もっとないの?」って言ったんだ! その人が後に全盛期の“ジッタリンジン”のプロデューサーをやることになる岩谷さん(現ファーイーストカンパニー社長)だった。


プロモーションビデオのオープニング ドラムの仁井クン

「今度、新人アーティストを会社内でお披露目する場があるからそこへ来い」
って言われた。 場所は原宿だった。そこはワタナベプロがやってる音楽学院みたいな所だったと思う。
スクールメイツとか デビューに向けてレッスンしてる新人アイドルとかが居た。でも困ったことに目黒から原宿まで行く電車賃か無かった。 そんでエフェクターを質に入れて、そんで行った。
俺らの前に湯江健幸という今度デビューするアイドルが歌ってた。
俺は「コイツ、デビューするんかな?」 なんて思ってたら壁の上の方にそいつのデッカイポスターが貼ってあった。
そんで次が俺らだよ、まいったね、メチャカッコイイやつの後だぜ、こっちはボロボロのジーパンにTシャツ、おまけに サンダルだったんだから。
ディレクターやらプロデューサーやらスゲー大勢見てた。正直ビビッた。けど、すぐ開き直った。 ノルかソルか!もう必死でやった。あんま覚えて無い!
その中にひとり、俺たちに熱い視線を送っていた人物がいたことなんかその時は知るはずも無かった。

☆湯江健幸☆


レコード発売の雑誌広告

「一緒にやろうよ。」それが“良田性正”との出会いだった。
ワタベプロダクションの立派な会議室だった。
“一緒にやろうよ”この言葉の意味、わかるかい!?それまでどんなに叩いても、コジっても、鍵穴にハリガネ つっこんでも、何しても開かなかった鉄の扉のドアノブが「カチャ!」って音がした瞬間だったんだぜ!
しばらく返事できなかったもん俺、そしたら性正さんが「やるんだよね!?」って言った。俺は慌てて 「ハイ、やります」って答えた。 その時、性正さんは渡辺音楽出版にいた。著作権の管理とかそんなコトをやる所だ。
その前はワタナベプロのディレクターかなんかやってたのかな?最初に受け持ったのがアグネスチャンとか 言ってたような気がする。
そんで、外へ出て一緒にラーメン食った、チャーハンも食った。しばらく性正さん黙ってた。 俺、ドキドキしたよ「何、言われるのかな・・・・?」 なんて思ってたら、
性正さん、何て言ったと思う?「彼女がねぇ、ヤラセてくんないんだよ・・・。」ってね。 俺は「ヨッシャ!芸能界!!」って心で叫んだ。


デビュー曲<抱きしめ I Love You>

性正さんは独立してパラダイムという事務所を立ち上げた。
そこに俺達を所属させた。 レコード会社はフォーライフ・レコードに決まった。 でっかいレコーディングスタジオだったな、オーケストラでも入れそうなスタジオだった。
アレンジャ-に佐藤 準とうい凄い人が来た。
でもこう言った「デモテープ聴きましたけど 何もいじるトコ無いですよ。」ってね。そんでドラムに注文付けてたな、その時のドラムが 島村 英二という有名なドラマー(松田聖子、長渕剛 etc のレコーディングやツアーなんか やってた人。)の弟子だった。
その関係で佐藤準さんとは顔見知りだったみたいで、結構、注文付けられてたな。
俺は、というと「チューニング悪いねっ」って言われた。その時使ってたギターがVOXのマーク此△箸Δぅターだった。 これは、かまやつひろしさんがGS時代に使ってたのを借りてた。
朱色でカッコよかったんだけど、なにせ古いギター だったんでオクターブが合わない。
そんで佐藤準さんが俺と一緒に一番良いとこを探してくれた。
レコード会社の人も「あの佐藤準がチューニングしてるよ、凄い絵だな・・・」って言ってたのを覚えてる。
スタジオを出るとちょっとした喫茶コーナーみたいのがあってコーヒーはタダ、飲み放題だった。のかな? カウンターの向こうにウェイターがいて頼めばコーヒー入れてくれた。いかしたスタジオだった。

こんな話がある、レコーディングが深夜になってきて俺は喫茶コーナーへ行った。 カウンターの向こうでコーヒー入れてた人が居たんで俺は「コーヒーひとつちょうだい」って頼んだ。 そしたらそいつ変な顔してコーヒー入れてくれた。俺は「何だ、アイソのないヤツだなー」なんて思ってた。 そしたらその人、なんと、アルフィーの坂崎さんだった!隣のスタジオでアルフィーがレコーディングしてたんだよね。


これがVOXのギター


主題歌とエンディングテーマになった「ハイスクールエージェント」


深夜番組「グレース」のオープニングテーマにもなってた。
ヒロコグレースの情報番組だった。



SCRAPというグループ名でデビューした。 この名前はフォーライフ・レコードの社長の後藤ユタカ氏が付けてくれた。いかした社長だったな。
たまにポロシャツに金のネックレスかなんかで現れた。俺は「この人絶対むかし不良だったな。」なんて 思ってた。
デビュー曲が深夜番組のオープニングテーマにもなったし、ビデオアニメのエンディングテーマにもなった。
新人というのは同時期にデビューした連中が一緒にラジオ局のオーディションを受けることになってるらしく たくさんの新人が各ラジオ局をまわるんだけどね。その中にバクチクがいたな、髪の毛がまっすぐ上に立ってんだもん インパクトあったよな。

テレビのドラマにも一度だけ出たことある。「27才LOVE気分」という岸本かよ子三浦洋一 主演のドラマだった。岸本かよ子さんの弟役が清水宏次郎だった、その清水宏次郎のやってるイベント会社の バンド、とうい設定だった。
その当時、ビデオ撮影とかあると俺らにもスタイリストとヘアメイクが付いてたんだ。スタイリストなんか 柴田恭平さんを担当してた人だった。
だから俺はその日もそういう人たちが来るもんだとばっかり思ってた。 ところがその日は誰もいない!俺なんか寝坊してシャツの下、寝巻きだぜ!

後から聞いたことだけどリンキー・ディンク・スタジオの杉山さんがその番組を見てたらしいんだ。 部屋で寝っころがってボーっとテレビ見てたら俺達が出てきた。飛び起きて「コイツらスゲー!」って叫んだって。

テレビドラマ「27才Love気分」
中央のリーゼントがJohnny中西 右のイケメンが清水宏次郎



テレビドラマ「27才LOVE気分」


プロモーションビデオ<Johnny中西24才>

出山さんという性正さんの悪友がいた。
いつも腹へらしてた俺らを自分のアパートに呼んで メシ食わせてくれたり、スーパーマリオのUSゴルフで金賭けてやってた。
その頃、俺らは四ツ谷に住んでて、そんで出山さんはサンミュージックで香坂みゆきのマネージャーを やってた。
出山さんはサンミュージックの近くに住んでたんで俺らは歩いて行けた。 おもしろい話をいっぱい聞かせてくれたよ。
「この前さ、松田聖子がね、ロケ行ったとき トイレに行きたくなってね、そんで山の中だからトイレなんて無くってさ、だから野グソしたんだよ。 松田聖子が野グソだぜ!そんでそれを後からマネージャーが埋めにいったんだ。マネージャー本人 から聞いたから確かな情報だぞ!」ってね。こんな事ばっか言ってたな、この人わ・・・。

そんな時、出山さんに弟を紹介された。「弟もバンドやってるんだ、トシっていうんだ。」ってね。
そんでその弟に会ったんだけど、なんかパッとしないヤツだった。俺はもうデビューしてたからね、 余裕かましてね、「へーっ、バンドでボーカルやってんだ?何てバンド?」って聞いたら、そいつ「エックス」って答えたよ。


TOSHIクン☆
自主制作のレコードをもらって初めて聴いたのが「紅」だった。ビックリしたなんてもんじゃなかったね。



横浜でのLIVEが多かった。
対バンにダックテールズとかBATなんかと一緒にやった。 俺はどっちも知らなかったけど、会ってビックリしたよ。「ヤベ!横山ケン(クレイジーケン)だよ!あれ?ベースってシャネルズ?」横山ケンはクールスでボーカルやってたから知ってた。BATはブラックキャッツの久米兄弟が居た。 BATも後から知ったよメンバーを・・・。
そのBATで俺は始めて“ロカビリー”という音楽を体感した。
新鮮だった。「何?あの真っ黒なウッドベースは?はじくの?たたくの?何?」って感じだった。 「なんだかイイナ、このリズム・・・」って思ってた。
俺はBATのメンバーに聞いてみた。「レコード買いたいんだけど?」 そしたら「テープならあるけど・・」みたいなこと言ってたと思う。
結局、手に入らなかったけどね。

横浜の7thアベニューというライブハウスによく出させてもらった。控え室は無くて通路で着替えたりしてた。 ある時その7thアベニューでLIVEをやった時にその通路で黒ブチメガネのヤツがウロウロしてた。 「何だ、コイツ?なんか変なヤツ?」
なんて思ってたら対バンのギターだった。そんでそのバンドがステージ出て メンバー紹介の時に「元フィンガー5のアキラくんです!」って紹介されてた。ぶったまげたね。
俺、なにげに昔ファンだったから。「オー、マイ、ガッツ!なんでだよ!」って感じ? そこのライブハウスで年越しイベントがあってね。たくさんバンドが出て大晦日から朝までやってた。 俺らの出番が終わって外の自販機でみんなで缶コーヒー飲んでたら除夜の鐘が聞こえてきた。
俺は“おしるこ”のんでた。すごく甘くて飲みきれなかったけど、とってもせつない味がした。

クレイジーケン いーね!


ブラックキャッツ

フィンガー5、知ってるかな〜・・・?右前がアキラくん


その頃BOOWYが解散直前で凄い人気だった。フォーライフの社長の後藤氏は ユイ音楽工房の社長でもあり。そのユイ音楽工房にBOOWYが所属してた。
俺らはそのBOOWYのビデオを見せられた。例えばこんな感じでやれ、みたいなことを担当のディレクターに 言われたような気がする。
俺はとっくにリーゼントをヤメてた。というかヤメさせられた感じだった。 「リーゼントはもう古い、メイクも勉強しろ、音楽とファッション、いい意味で客を裏切れ」 そんなことをいつも言われてたな・・・。
そのユイ音楽工房の中のスタジオで何度か練習した。日曜日で社員はだれも居なかった。 一般の人はもちろん入れない。スタジオの中になんだかヘッドのトガッたギターが置いてあった。 事務所はけっこう広くて写真集やら、サイン色紙なんかが机の上に山積みになってた。 ファンにとっては宝の山だったろうね

だんだんバンドがおかしくなって来た。俺らのうしろにスタジオミュージシャンが付いた。 俺はギターを降ろしてハンドマイクで歌ってた。たしかにウマイよ。だけどもうバンドの サウンドはもうそこには無かった。完全に前が見えなくなって来てた。 バンドどころか自分自身がナンなのか良くわからなくなってた。 ギターも弾けない、リーゼントも出来ない、「じゃあ俺っていったい何?単なるボンクラ?」みたいな。 とっても辛かった。
そんな時、テレビでMTVを観てた。ストレイキャッツという言葉が耳に入って来た。
「名前は聞いたことあるけどなぁ・・聴いたこと無いな・・。」俺は頭の中で想像した。 「リーゼントしてて、ああ、横浜で見たBATみたいで・・
サウンドはあんなで・・・」なんて考えながら ビデオの録画ボタンを押した。すると、
どうだ!俺の想像してた通りのバンドが出てきた! いや、それ以上のバンドが出て来た!スーパーリーゼント、ウッドベース、ドラムが立ってる、タム無し、ハットも無し、
サウンドはシンプル!「ストレイ・キャット・ストラット」のプロモーションだった。 「これだよ!これ!」俺はいつも「音楽とファッションで客を裏切れ」と言われてきたけど。 このバンドはどうだ!そのまんまじゃねーか!音楽とファッション、期待通りだよ!思った通りじゃねーか!
このストレートな気持ちよさはどうだ?メチャメチャ感動した。
俺にBOOWYになれったって無理な話さ、だって根底にあるフィーリングが全然違うんだもん。 でも、これなら、これなら出来るかも?イヤ、やりたい! 次の日、俺はホワイトファルコンを買った。

BOOWY


STRAY CATSのブライアン・セッツアーは俺のギターの神様です





<番外編>
俺が出会った芸能人

香坂みゆき
出山さんがマネージャーをやってた関係でよくラジオ番組のゲストに呼んでもらったよ★


工藤静香
有線放送の人達を招いてレコード会社のパーティーの時に居た。
おニャンコ倶楽部を抜けてソロになってすぐの頃だね
俺は工藤静香を知らなかった。
てゆーか、おニャンコのメンバーには何人か会ったけど
誰が誰だか分らなかった。
だから隣に座ってたのに喋ってない!


岸本加代子
ドラマに出た時の主演がこの人。ドラマの中で俺たちはこの人の横を通って出て行くんだけど、リハを何度もやってね、そのたびに俺は話しかけてたね☆それでもいちいち返事してくれてとっても良い人だった。


石川ひとみ
ワタナベプロダクション所属で、ある日喫茶店で岩谷さんに紹介された。その時たぶん彼女は体の具合が悪かったんだと思うけど、メチャ顔色悪かったね。俺思わず「大丈夫ですか?」ってのが初挨拶になってしまった・・・。


清水宏次郎
ご存知ビーバップの”ヒロシ”です!この人もドラマで会った。「ど〜も〜」って言ってたな。俺はギターを持って行ったからね、それ見て
「俺もねフェンダー2本持ってんだ」って言った。
俺は「そうっすか、俺はフェルナンデスです!」って答えた。
この時まだ映画館で「BEE BOP HIGHT SCHOOL」やってたような気がする・・・

他にも高田純二 太田ひろみ 渋谷哲平(知ってる人はアイドルマニア!)・・・・沢山いたけど忘れた!






JohnnyJokers
名古屋に帰った。
ロカビリーバンドを組んだ、バンドの名前はまだなかった。 LIVEをやるのにどうしても名前がいった。
俺は18才の頃から「ジョニー」と呼ばれてた。 というか、最初は呼ばせてた、「ジョニー」と呼ばなきゃ返事しなかった。
それがだんだん定着した。 俺は「ジョニーウォーカーズにしようぜ」って言った。メンバーは「酒じゃん、それ」って反対した。 なんだかんだで決まらない。俺は「もういい、ジョニージョーカーズでいい!」 J と J が並んでりゃなんでも良かった





新栄にある「クラブ・ロックンロール」がオープンした。
俺は楽器屋で働いてた。 そんで機材を搬入に行った。
そこの店長がマッド・モンゴルズのマッド・マサトだった。
「バンドで出て下さいよー」って言われて「いいよ」ってね。
それからロックンロールには 月に一度は必ず出てた。多い時なんか3回くらい出てた。





マッドモンゴルズ

マッド・マサトから連絡があってストレイキャッツのトリビュートアルバムを出すんで1曲やって欲しい という事だった。
それが「ストレイキャット・ブルース」という企画モノのCDだった。
でも、話が来てから 締め切りまで1週間くらいしかなかった。
しかもメボシイ曲は他のバンドに取られた後だった。 まいったね、
レコーディングスタジオ押さえてやってる時間も金もない。しかたなく8トラックのMTRで やった。音、悪いよね。
だって音源、カセットテープだぜ!ちなみにマッド・モンゴルズも一緒に録った。 しかも、ギター弾いたの俺だよ、その場で・・・。
それが全国発売だぜ?無茶だよな。



性正さんとはずっと付き合いがあった。曲を聴いてもらったり、
何かあると会ったりしてた。 性正さんは「パラダイム」をやりながらビクターにいた。その頃は高橋由美子を担当してた。 高橋由美子が名古屋でコンサートをする時は会いに行ったりしてた。
まだアイドル歌手の頃だね。
俺は久々にああいうコンサートを観たね。頭に鉢巻まいて黄色い?声援をおくるトリマキ軍団。
キャンディーズ以来だったねああいう雰囲気は。
キャンディーズといえばそのキャンディーズとかの曲を 書いてた作曲家の穂口さんという人に会ったことがある。JohnnyJokersのCDを出そうか?みたいな 感じだった。結局CDの発売は現実にはならなかったけどね。
2曲くらい東京のスタジオで歌った。演奏はカラオケ作って持って行った。Cool Babyともう1曲、 もう1曲は何だったか忘れた。その時にその穂口さんが「これ、イケルよ。曲もイイし、詞もおもしろい。」 と、言ったのがそのCool Babyだった。
それともうひとつ「このギターリストはかなりウマイね!」
「へへ・・それ、俺です」ってね。
「けど、SCRAPの時にヘタだからギター弾くなって言われて、 ギター降ろしてやってましたよ。」
「え!?ホント?」
「そん時はヘタでしたから。」
「こんなに短期間でこんなに弾けるようになるものなの?」「
ハイ、練習しました。」って答えた。
けどね、これぐらいはSCRAP時代でも弾けたよ。
俺が思うに「ウマイ」ってなんだ?「ウマイ」ヤツは沢山いるよ。 その人の個性が出せてれば「ウマイ」んじゃないかな?もちろん曲を表現するのにテクニックは 絶対に必要だよ。
「ヘタウマ」なんてのに逃げちゃダメだね。単なる言い訳ですよ、そんなのは。 穂口さんなんかは職業柄、沢山のギターリストを見て来てる。いろんなタイプがいたと思う。 そんな人が「ウマイ」と言ってくれたんだからね、ちょっと自信もてたかな。 SCRAPの時、俺は”布袋”のギターじゃなかったから「ヘタ」だって言われたんだ。


Cool Baby(バンダイ・ミュージック・エンタテイメント)

ある日、性正さんから連絡があった。
「パラダイムでレーベルを立ち上げたからCD出す?」ってね。
俺は「ウン、出す。」それで決まり。バンダイ・ミュージックから「JohnnyJokers/Cool Baby」が出た。
話が来たときに俺は自分でCDを作ろうと思って何曲かはもうすでにレコーディングしてたから曲はあった。
でもその録音済みの中にも「まあ、いっか・・」みたいな部分が沢山あったからね、結構慌てたよ。 その時のベースが音に関していいかげんだった。「楽しけりゃいい」みたいな考えでやってたヤツだから 俺は練習にしてもLIVEにしてもそーとーなストレスかかえてやってた。
あんまり俺がうるさく言うから辞めて行ったよ。
でも、俺は「音程が悪い」とか「リズムが合ってない」とか、ごく当たり前のことしか 言ってないんだぜ?そんでベースが抜けた。しかもレコーディングの途中だぜ?しかたなく俺が弾いた。 ベースを。ウッドベースなんか弾けないからエレキでやった。うまいウッドベーシストは何人か知ってたけどとにかく 時間が無かった。



「近年、絶滅したチンピラ系ロックンロール。」 
何かの雑誌の音楽批評みたいなのに こう書いてあった。誰かは忘れたけど女の人だったと思う。ビジュアル系なんて音楽が 流行ってた頃だからね、この「チンピラ系」というのは俺自身ウケた。
「センスいいじゃん このヒト!」みたいなね。でもこの「JohnnyJokers/Cool Baby」は即、廃盤になった。
とういのはバンダイ・ミュージックの社長が変わって音楽から手を引いちゃったんだ。 その頃、バンダイ・ミュージックから「マジック」とか「ブラック・キャッツ」なんかも出してたように思う。 ホント、幻のCDになっちゃったよ。
でもメジャーの力ってやっぱ凄いなと思うのは後になって LIVE会場とかで「あの、JohnnyJokersですか?握手して下さい、サイン下さい。」なんてこと けっこう言われたよ。 その後すぐにセンチュリー・レコードってとこからCD出そうって話になった。そんで10曲、レコーディング した。でも出来が良くなかった。だから俺は止めた。「こんなんで発売出来ない。」って思ったんだ。



正直、俺の中で「JohnnyJokers」は終わってた。「もう、いっか、やることはやったし。」みたいな。 もう、つまんなくなってた。そんで1年くらいバンドやめてた。そんである時ロカッツが来るってんで 観に行った。そこで以前JohnnyJokersのLIVEを観に来てたヤツに会った。そいつがしきりに JohnnyJokersをやってくれ、みたいな事を言ったてた。そいつが「俺がもう少しベースがうまけりゃ 一緒にやって下さいって言うのにな・・・。」って言った。俺は「別に、いいよ、ドラムが見つかったら やろか。」なんて軽く答えた。そいつは「えっ!?ホントっすか!?居ます!ドラム、ここに居ます!」 ってちょうどそこに居たひとりの男の腕をつかんで引っ張って来た。それが今のドラムの田之上だった。 俺は田之上のことは知ってた。田之上は「何?何?」って感じだった。



その3人で俺自身1年ぶりのLIVEをやった。
そんで「やっぱりCD要るでしょ」みたいに思って 急いでレコ-ディングをした。ジャケットもパソコンで作った。正確にはCDじゃなく、CDR。 これが「JohnnyJokers/検廖
よく人から「犬あるなら兇鉢靴あるはずですよね?」って 聞かれるけど、正直に言います!ありません!ありませんと言うのはちょっと違うかな? とにかくCDRで自分で作れちゃうからね、沢山作りすぎて自分でわからなくなっちゃった、 ってのがホントかな?
とにかく曲は随分あるよ。もうつぶれたけど栄のKENTOSのテーマソングを たのまれて作ったり、あと子供をガンで亡くしたお母さんがいて、それをドキュメンタリーで番組に するからそれの曲とか、(それは企画段階で番組自体ポシャッたみたい)。それから 「まちがいないブギ」というふざけて作った曲があったけどそれを自民党が売ってくれと言ってきた これも「ちょっとフザケすぎ」ということでボツ、俺はマジで小泉さんに「まちがいない!」と言って ほしかったな。「Cool Baby」をV6が歌いたいって言ってる、なんて話もあった。
「歌えるもんなら歌ってみろや!」って感じだったね俺は、あの曲、むつかしいんだぜ!なんてね。 その変わりに1曲作ってやった。これもどうなったか知らない。
それと、女子高生グループ「Pickeys」は俺のお気に入り!5曲入りで発売したけど結構、売れたな。 曲の出来もすごくイイと思う。のは俺だけか・・・?そんなカンジでJohnnyJokers以外の曲も沢山あるよ。



そんで、又、ベースが抜けた。子供が生まれてね、あんまりバンドが出来なくなった。 JohnnyJokersは活動休止になった。
それで違うことやりたくて「G-1ブラザース」という バンドを作った。ブルース・ブラザースとかブライアンセッツアー・オーケストラをやってた。 だからホーンを入れた。トランペット、サックス、ピアノも入れた。このバンドは俺にとって 試験的な意味で後になって良い結果となってくるんだな。
このバンドでは俺はボーカルを 降りた。誰かの後ろでギター弾けてりゃ良かったんだ。 このバンドで一番勉強になったのはホーン・アレンジの難しさだね。 コピーは問題ないよ、素晴らしいアレンジがもう出来てんだから、でも、オリジナルとなると そうは行かないよね。
俺が思うにこのホーン・アレンジというのは作曲能力と同じくらいの能力が 要るんじゃないかな?楽器やってりゃ出来るってもんじゃないね


大阪のCDショップで「タイム・ボム」というお店に白井さんという人が居る。
「JohnnyJokers/THE BEST」の発売はこの白井さんのおかげ、と言っても過言じゃない。
ひょんな事からこの白井さんと知り合いになってね、俺は「エチュード・レーベル」というのを やっててね、いくつかアーティストのCD発売してる。COOLSの村山一海さんもあるんだぜ。 その関係で俺はCDの営業で白井さんに連絡を取った。そんでメチャメチャ気に入ってくれたのが 「JohnnyJokers/検廚世茵
そんでお店の試聴コーナーにも置いてくれたりしてね、お客さんに 薦めてくれたり、随分CDの注文くれたよ。そうこうしてる時に東京の知り合いから「良いバンド いないですかね?」って連絡が来た。俺はピンと来たね、
「これは何か巡り合せだな」ってね。 「エチュード・レーベル」で今、一番売れてるのは誰だよ?
JohnnyJokersじゃねーか!
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Johnny19才
- / johnnyjokers
たぶん19才くらいかな?
言っとくけど俺は暴走族には入ってなかった。
あのジンベエとか特攻服とかっていう”和風”なファッションがどうも嫌でね・・・。ロッケンローラーはヤッパ皮ジャンでしょ!
でもこういうスタイルのヤツが減って来た頃だな
これはkawasakiのZ400−LTDって単車だね(2台目)
1台目はやっぱりKawasakiのZ400−FXってやつ。
今じゃプレミアついてて超高いらしいけどね
当時の族達はFXなんかメチャ改造して乗ってたからな、原型を残したものはそう無いと思う。
そういうのもあって俺はアメリカンに乗り換えた
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JohnnyJokers&COZY
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JohnnyJokers&COZYコラボ第2弾!「藍流」6月3月緊急発売☆
有松のモニュメント”藍流”テーマ曲
6月3日有松IONにてレコ発ライブ

さすらいのじょんから節のPV☆
大好評です

http://www.madworld666.net/johnnyjokers/
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KING OF JJ ROCKS
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KING OF JJ ROCKSここに本文を記入してください。
JohnnyJokersの新譜『KING OF JJ ROCKS』
サイコビリーのカリスマ“MAD MASATO”とのコラボ「荒野の1ドル銀貨」収録。以前にメジャーから発売になっているこの曲にMAD MASATOの高速スラップベースを乗せパワーアップ!ロカ、サイコ系好きは失禁モノ☆

1.ミッドナイト
2.荒野の1ドル銀貨
3.チャイナドール
4.Jehnny
5.レディジェーン
6.JJ69〜俺たちJJ愛しのロックンローラー〜(live)
7.Rock’nRoll City
(税込¥1890)DDCZ−1224
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KING OF JJ POPS
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JohnnyJokersの新譜 『KING OF JJ POPS』(DDCZ−1223)
☆三味線とロカビリーが融合した「さすらい」のじょんから節」収録。16才の天才三味線奏者“COZY”とのコラボレート☆TBSラジオ「あなたへモーニングコール」で放送され聴視者か多くの問い合わせがあった「ひとりのシンフォニー」。J−POPの王道を行く名曲☆

1.さすらいのじょんから節
2.ひとりのシンフォニー
3.想い出の渚
4.sensetion
5.ラブラブハンター
6.Cool Baby
7.So Long
(税込¥1890)発売中
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